あの日のネルドリップ 完全版
【まえがき】
3月でこのブログも3年目に突入した。
周年ブログを何か書かねば…と思ってはいたもののちょうど良いテーマが見つからずどうしよっかなあ〜…なんて思っているところに実家に帰る機会があり部屋の本棚にあるちびまる子ちゃんの単行本がヒントをくれた。
僕は本編も好きだけど巻末には「ももこのほのぼの劇場」というさくらももこの体験談を漫画にしたものが載っていて本編と同じぐらい好きだ。
「おかっぱかっぱ」「はじめての鼻血」「夢の音色」どれも名作だ。
「夢の音色」はまっすぐな少女マンガを書いていたところからエッセイをマンガにしたら…!と思いつくまでが描いてある作品。
そこから着想して今回は最近よく聞かれる「コーヒー始めたきっかけ」について書いてみました。営業の仕事をクビになってからコーヒーにハマるまでを文字にしています。
そういえば人生をネタにして生き様で魅せていくならいろいろチャレンジしないといけないよなあ。。と書きながら改めて思いましたね〜。
僕はこれからもいろいろチャレンジしていきます。皆さんも障害があってもチャレンジしていきましょう!
えんどう(ほぼ石井)
☆☆☆
【あの日のネルドリップ】
僕は芸人を辞め親を安心させるために就いた営業の仕事を半年でクビになった。
「え〜、来月からなんですが〜…遠藤はクビ!来月からは更新しませんのでよろしく〜。」
向かいに座る部長の顔は笑っていたが目は笑っていなかった。今でもクビの「ビ」を言った時の上司の口の形は忘れない。
先月から「数字上げられなかったらクビ」と宣告されていたものの「障害者だし何だかんだチャンスくれんだろ」ぐらいに思ってた僕はショックを受けた。しかし毎朝スーツを着て満員電車に乗りやりたくもない事務作業でパソコンを叩き、先輩に見られながらガムシャラにテレアポをして何件電話して何件アポ取れたのかを1時間置きに先輩に報告して、営業先では先輩に見られながら先方と楽しそうに喋りながらこちらの良いように話を運んで話さなくても良い」と思うと晴れやかな気持ちだった。
今考えると営業マンとしてのトークと芸人に求められるトークは畑違いもいいところでどちらかというとナンパで使うトークに近い。ナンパしたことのない僕にしてみたら地獄のような半年間だった。
その後課長からは「契約社員ではなくアルバイトとしてなら雇ってあげる。ノルマも気にしなくて良いのでもしその気があるなら言ってきて」とは言われていたものの「ノルマがない?そんな訳ねえだろ」と思いながら課長の提案を聞いていた。
3月から僕は無職の透析患者である。次に何をするなんて算段もなく辞めた。ありがたいことにいろんな人が連絡をくれてご飯食べたり遊びに行ったりしたもののこんな思いが過ぎる。
「もう東京いてもしょうがないし実家帰ろっかなあ。」
芸人を辞めてから東京にいる意味をぼんやりと考えていてクビになったタイミングでさらに強くなった。自分は何も生み出してないただの透析患者であるというのが嫌になってブログを始めたものの環境は何一つ変わらない。結果とりあえず1ヶ月だけ実家に帰り青森でやっていけるのかの検証が始まった。
新幹線に乗って実家がある七戸十和田駅に着いた。
思えば高校卒業してから10年弱、実家に1ヶ月も滞在するのは初めてだ。とりあえず今は何も考えずにのんびりと過ごそう。
改札に行くと母親がいて「まあゆっぐりしでげ」とだけ言って迎えの車に乗り込んだ。体ぶっ壊して芸人辞めた時も「帰っでくるが?」と言ってくれてたけど実際はどう思ってるんだろう。
とにかく時間はある。チャリで地元を探索して喫茶店に入ってコーヒーを飲みまたチャリを走らせ適当にご飯を食べて。そんな毎日だった。
ある時商店街をチャリで走ってると木で出来た看板に「Happy TREE」と書かれたカフェを見つけた。何だかオシャレそうなこのカフェは入り口までの通路が暗い。ドアを開けるとヒゲを生やしてニット帽を被った30代後半ぐらいのマスターがドリップしながら「いらっしゃい」とだけ言ってまたドリップに戻る。奥さんらしき女性にカウンターに案内されて僕はカウンターに座った。
席はカウンター4席、2人がけのテーブル席が3席ほど。店内は薄暗く暖色の照明が雰囲気を醸し出している。
奥さんらしき女性からメニューについて説明を受ける。説明を聞きながらチラリとマスターに目を向けるとドリップに全神経を集中している。あれはネルドリップだ。一度鎌倉でネルドリップのコーヒーを飲んで美味しかったから知っている。
ポタ、ポタ、と一滴ずつヤカンの口から注がれると豆から湯気が上がり良い匂いが広がる。
(カッコ良い…!!)
ネルドリップのコーヒーは飲んだことはあってもドリップの様子を見るのは初めてだった。マスターは下を向いて片時もネルから目を離さない。細かく手首を動かして一滴ずつお湯を落としていく。
マスターの仕草に引き込まれるように見入っていてメニューの説明はうわの空。ブレンドの説明を聞いてなくて結局メニューの1番上にあったブレンドを注文した。
席は半分ぐらい埋まっているけどしんとしている。マスターの作り出す雰囲気からなのか大声で喋る人もいなくみんな静かに自分の時間を過ごしている。田舎町にある一軒のカフェ。しかしそこは異次元空間。店から出たら透析に行かなければ。透析なんかよりマスターのドリップをずっと見ていたい。
透析に行きたくないと思ったのはこの時が初めてだった。
それからは透析までの時間潰しに通うようになった。座るのはカウンターの左から2番目の席。そこがマスターのドリップがよく見える。丸い布の中に挽いた豆を入れる。布を揺らして豆を均一にしたらお湯が入ったヤカンを傾けて一滴一滴茶色い粉へ落としていく。かなりの訓練をしたんだろうか。一杯目、2杯目と淹れていくけどブレずに同じテンポでお湯を注いでいく。マスターに聞いてみたい。コーヒーについていろいろ聞いてみたい。でも真剣に作業している人を邪魔するのは野暮か…。そう思うといつもおいそれと話しかけられなかった。
透析中もあのドリップが頭から離れない。喫茶店のマスターかあ…。コーヒーは好きで飲むけれど。僕に出来るのだろうか?
透析を終えて家へと帰る。「また今日もあそこの喫茶店行ってきたの?」母親がそう聞いて返事を返すのが通例となっていた。地元にあるいろんなカフェ、喫茶店へと足を運んだけれど足しげく通ったのはあの喫茶店だけだった。いつもの何気ない会話から母親は言った。
「いつかはこっちに帰ってくるんだべ?だったら透析しながら喫茶店やればいいべ」
確かに喫茶店をやってみたいとは思っていた。でも透析をしながら飲食店なんて…という想いからどこか踏ん切りがつかなかったけど。
母親の後押しで妄想が確信に変わった気がした。やってみよう。僕は将来喫茶店のマスターになる!
次の日僕は東京へ帰る切符を取りに行った。自分がやることは決めた。あとは動くだけ。
1週間後。東京へ帰ってきた僕は部屋から自転車で10分ほどのチェーン店のカフェでアルバイトを始めた。アルバイトをきっかけにもっとコーヒーを知りたくなりカフェ巡り、セミナー、展示会へと足を運んだ。コーヒーにはランクがあってスペシャルティコーヒーという美味しくてフルーティーなコーヒーがあることを知った。良いコーヒー、悪いコーヒー。美味しいコーヒー、美味しくないコーヒー。意識的にコーヒーを飲んでいろんなコーヒーを見てきた。必死になって動いてるうちにカフェの運営もしたし間借り営業もした。自分で焙煎をするようにもなったし、いつか自分の店も出すだろう。でも1つだけやり残したこと。
あの日コーヒーに興味を持ってコーヒーの世界に飛び込むきっかけをくれたマスターにまだ僕のコーヒーを飲んでもらってない。というより話してすらいない。たったの一言も。
いつかお礼を言いに行かなきゃ。急にそんなお礼を言われたらびっくりするか。もしかしたらこのままでも良いのかもしれない。実家に帰ったらこっそり飲みに行って勉強させて頂きます。
カウンターの左から2番目のいつもの席で。